一頭立ての馬車から四輪駆動車へ
2007.07.02 Monday
東京大学大学院総合文化研究科 准教授の瀬地山 角 さんが講師を勤めた 市職員対象の男女共同参画研修講座「お笑いジェンダー論」に参加してきました。
男性によるジェンダー論だけあって、女性では見逃しているようなこと、「男性差別」などにも焦点を当てて論じられていました。特に、ドリンク剤のCMは、その典型だと、瀬地山さん自身が言っていたのには、妙に納得しました。
大体、周りを見渡してもCMに出てくるような筋肉もりもりの男性なんていないし、ドリンク剤を飲めば疲労が回復するくらいのものなら、たいしたことではないので、現実離れしたCMで、果たして効果があるのかと常々思っていました。
氏の講演内容の要約は、以下のとおりでした。
ジェンダーという言葉が(一部の人から危険思想のように論じられているが・・・)、日本の社会で使われるようになったのは、たかだかここ10年くらいの話である。ジェンダーの対概念はセックスで、セックスが、体の機能の違いに注目した生物学的な性差のことを指すのに対し、ジェンダーは社会的性差を指す。
この区別をすることにより、私たちが普通、男性はこうでなければいけないとか、女性はこうでなければいけないと考えていることの大半は、社会的な取り決めに過ぎず、それは生物学的な宿命ではないから、絶対的なものではない。
事実、自分の子育て経験から言うと、子どもを生むことは女性しかできないけれど、あとの子育ての大半は、男性女性に限らずできることに気がついた。子育ては女性の専売特許ではなく、ジェンダーによるすりこみで、子育ては、まるで女性の仕事であるかのように考えられている。
子育てのような楽しいことを女性だけに任せておいては、「損だ」と男性も認識するためにも、両性で対等に分担していく制度の構築が必要である。
例えば、育児休業を3年延長できる制度を創っても、13ヶ月目は男性しか育児休業をとれない制度にするなど、企業が人を雇う場合、労働力の再生産にまつわるコストが男性女性の両性についてまわるようにする必要がある。そうしないと景気が悪くなる度に、女性の就職難が発生する。
私は、そもそも妻を養おうなんて思ったことはない。女性が働いて、男性が家事を分担すれば、男性も家族を養うという重荷から解放される。今の日本のシステムは、夫が馬車馬のように働いて、妻が御者台に乗って尻たたいているのだが、これは馬がこけると、途端に動かなくなるという非常に危険なシステムである。男性の自殺率の高さから見ても実証されている。
将来的には女性も働いて、基本的には馬車は二頭立てにしておき、何かあったときに、たまに一頭立てになるというシステムをとることが一番のリスク分散であろう。このことは、男性の生き方の自由度も相当大きくするはずである。
日本は、専業主婦の割合が非常に高い大都市型の社会と、共働きの世帯が多い地方型の社会に分けられる。共働きの社会は学歴も収入もそんなに高くなく、女性の働きがないと生活が維持できない、という層が多いのである。つまり、夫の年収が比較的少ない地方型の社会から税金がたくさん取り上げられて、夫の収入が多いがゆえに働かなくてすんでいる大都市型社会に、専業主婦の保護として税金が投入されているのである。
しかし、今後の高齢社会を乗り切るために、専業主婦の(税金、年金、保険制度等における)優遇措置の撤廃を早急にやらなければならないと考えている。
要するに、高齢者も女性も男性もみんなで働いて、みんなで家事をして、みんなで税金を納めていかないと、これからの高齢社会を乗り切ることはできない。言い換えれば、一頭立ての馬車から四輪駆動車への発想転換が必要なのだ。
大阪弁の軽妙な語り口で、男女共同参画の本質をついた氏の講演は面白かったけれど、終始うつむき加減であまり聴衆の顔を見なかったのが、少し気になりました。
男性によるジェンダー論だけあって、女性では見逃しているようなこと、「男性差別」などにも焦点を当てて論じられていました。特に、ドリンク剤のCMは、その典型だと、瀬地山さん自身が言っていたのには、妙に納得しました。
大体、周りを見渡してもCMに出てくるような筋肉もりもりの男性なんていないし、ドリンク剤を飲めば疲労が回復するくらいのものなら、たいしたことではないので、現実離れしたCMで、果たして効果があるのかと常々思っていました。
氏の講演内容の要約は、以下のとおりでした。
ジェンダーという言葉が(一部の人から危険思想のように論じられているが・・・)、日本の社会で使われるようになったのは、たかだかここ10年くらいの話である。ジェンダーの対概念はセックスで、セックスが、体の機能の違いに注目した生物学的な性差のことを指すのに対し、ジェンダーは社会的性差を指す。
この区別をすることにより、私たちが普通、男性はこうでなければいけないとか、女性はこうでなければいけないと考えていることの大半は、社会的な取り決めに過ぎず、それは生物学的な宿命ではないから、絶対的なものではない。
事実、自分の子育て経験から言うと、子どもを生むことは女性しかできないけれど、あとの子育ての大半は、男性女性に限らずできることに気がついた。子育ては女性の専売特許ではなく、ジェンダーによるすりこみで、子育ては、まるで女性の仕事であるかのように考えられている。
子育てのような楽しいことを女性だけに任せておいては、「損だ」と男性も認識するためにも、両性で対等に分担していく制度の構築が必要である。
例えば、育児休業を3年延長できる制度を創っても、13ヶ月目は男性しか育児休業をとれない制度にするなど、企業が人を雇う場合、労働力の再生産にまつわるコストが男性女性の両性についてまわるようにする必要がある。そうしないと景気が悪くなる度に、女性の就職難が発生する。
私は、そもそも妻を養おうなんて思ったことはない。女性が働いて、男性が家事を分担すれば、男性も家族を養うという重荷から解放される。今の日本のシステムは、夫が馬車馬のように働いて、妻が御者台に乗って尻たたいているのだが、これは馬がこけると、途端に動かなくなるという非常に危険なシステムである。男性の自殺率の高さから見ても実証されている。
将来的には女性も働いて、基本的には馬車は二頭立てにしておき、何かあったときに、たまに一頭立てになるというシステムをとることが一番のリスク分散であろう。このことは、男性の生き方の自由度も相当大きくするはずである。
日本は、専業主婦の割合が非常に高い大都市型の社会と、共働きの世帯が多い地方型の社会に分けられる。共働きの社会は学歴も収入もそんなに高くなく、女性の働きがないと生活が維持できない、という層が多いのである。つまり、夫の年収が比較的少ない地方型の社会から税金がたくさん取り上げられて、夫の収入が多いがゆえに働かなくてすんでいる大都市型社会に、専業主婦の保護として税金が投入されているのである。
しかし、今後の高齢社会を乗り切るために、専業主婦の(税金、年金、保険制度等における)優遇措置の撤廃を早急にやらなければならないと考えている。
要するに、高齢者も女性も男性もみんなで働いて、みんなで家事をして、みんなで税金を納めていかないと、これからの高齢社会を乗り切ることはできない。言い換えれば、一頭立ての馬車から四輪駆動車への発想転換が必要なのだ。
大阪弁の軽妙な語り口で、男女共同参画の本質をついた氏の講演は面白かったけれど、終始うつむき加減であまり聴衆の顔を見なかったのが、少し気になりました。