えみこ日記

「明日の記憶」を見ました

2006.06.18 Sunday

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     最近流行っているシネマコンプレックス(略してシネコン)で、若年性アルツハイマーをテーマとした「明日の記憶」と父の仇を討つために東京・深川の貧乏長屋に住み着いた田舎侍が繰り広げる、笑いあり、涙ありの人情時代劇「花よりもなほ」という映画を見ました。

     どちらの映画も私が見たときは10名前後の客しかいなく、閑散としていました。 こんなに客が少なくて商売になるのかなと正直思いながらも、私のように忙しいものにとっては、シネコンはとても便利です。

     子供の頃、映画好きの母に連れられ、月に4本ぐらい映画を見て育ったせいか、今でも見たい映画があると一人で見に行きます。ただ現実には見たい映画の1割位しか見られないのが現実です。ですから、見逃した映画がビデオ化されると、まとめて借りてきて、一日中見ることもあります。
     
     シネコンでは封切りの映画を10本ぐらい同時に館内で見せるので、時間の無駄を省くことができます。しかも駐車料金は無料ときているので、とても便利です。見たいときに見たい映画を心おきなく見ることができるのですからね・・・

     この映画でも仕事一筋の働き盛りのサラリーマンが、若年性アルツハイマーになってしまい、最後には、最愛の妻さえも認知できなくなってしまうのです。渡辺謙演じる主人公と介護するその妻(樋口可南子)の迫真の演技もあり、思わず涙を拭いました。
     「若年痴呆」は、18〜64歳で発症する痴呆の総称です。旧厚生省の研究によれば、患者数は推計25,000〜37,000人。現実にはその3倍以上におよぶとも言われています。その原因は、アルツハイマー病、脳血管障害、脳腫瘍後遺症、頭部外傷、薬物・アルコール依存症、クロイツフェルト・ヤコブ病、パーキンソン病、エイズ、ピック病など、背後にさまざまな病気が考えられるということで、発症率は10万人当たり約40人とされています。八潮市規模なら、30人前後の患者がいる計算です。

     ※2004年12月24日付けの厚生労働省の通達によって、「痴呆」という用語に代わり、現在では「認知症」が用いられています。

     若年性がとりわけ深刻なのは、ばりばりの現役世代であるためです。物忘れ、字が書けないなどの症状が高じて病院を訪れ、認知症と診断されても、本人はその現実をなかなか受容することができない。有効な治療法が確立されていないことも、患者の絶望感を深くする。映画でも、診断結果を告げられた主人公が、錯乱状態に陥り、自殺しようとする。
     
     患者を取り巻く社会資源は未整備なままで、デイサービス、ショートステイなどで提供されるサービスは高齢者を前提に組み立てられており、単純かつ集団的なプログラムに、自尊心を傷つけられる人が多いのです。

     6月11日のサンディ日経には、NPO法人「いきいき福祉ネットワークセンター」が運営する「いきいき学芸大学センター」が、1日から東京・目黒区で、全国初となる介護保険対応型の若年認知症専門デイサービスを始めたという記事が掲載されていた。
     利用者は症状に応じて、記憶や注意に関するリハビリを作業療法士らから受けることができるそうです。こういうサービスが各地に広がって、誰でも安心して介護が受けられるようになって欲しいと思いました。

     もう一本の「花よりもなほ」は、社会の下層階級に置かれたの庶民の逞しさを感じさせる喜劇で、武士の未亡人を演じている宮沢りえがとても綺麗で、「たそがれ清兵衛」以来、フアンとなりました。 



     
     

    白紙の裏側

    2006.06.17 Saturday

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       八條北小学校の跡地利用については3月議会で「白紙」と市長は答弁している。
       しかし、某大学の先生が作成した「大学設立計画書」によれば、平成19年4月開校として、特区申請区域での株式会社立で、メインキャンパスは八潮市の公有地(できれば建物も)となっている。
       突如として小中一貫教育構想が出て来た時期の少し前から、この大学へ5回にわたって「大学との連携」という理由で、当時の政策副主管が出張している。(情報公開請求から判明)
       出張命令による出張は、職員の服務規程の24条に「軽易なものを除き、書面での復命(報告書)を行なう」ことになっているが、書面での復命ではなく、口頭での報告のみであった。

       規制緩和で、大学の設立要件が緩和され、キャンパスの面積や学校法人ばかりでなく株式会社での設立が可能となったが、それにしても定員400名の大学となれば、ある程度の広さは必要で、しかも公有地(できれば建物も)となると、どう考えても八條北小学校の跡地利用と関係があるのではないかという疑問が湧いてくる。

       議会の答弁では、口頭で行なわれた復命は、市長、助役、政策担当理事に報告された。しかし、どのような内容かについては、「相手の身分上の不利益にかんがみ非公式な扱いを要請されており、信頼関係を損なう恐れから答弁は差し控える。」というのです。

       続く私の再質問(どういうポジションの人で、打ち合わせの内容は?)に対する答弁では、「市には施策について色々な情報が寄せられるが、その情報の信憑性については直接伺う必要がある。今回の件では十分な確認作業を行なった。大学については、第4次総合計画に位置づけられている。」という趣旨の発言があった。
       しかし、情報源の確認をするのに、5回も直接会って話し合う必要があるのだろうか。情報源の確認ではなく、その情報の実効性の確認について話し合われたと考えられないか?
       昨年度から政策担当が設置されているが、予算を持たない部署の為、出張費は秘書課から出ています。また、最後に大学に出張しているのは、暮も押し迫った12月27日、教育委員会が小中一貫教育の導入を決めてまもない時期である。この打ち合わせ後の年明けの1月6日に庁内会議が行なわれたわけです。
       小中一貫教育との関連については、否定も肯定もしていないけれど、全く関係がないとは、考えられない。
       
       20日の最終日には、八條中学校に八條北小学校を移転することの撤回を求める請願の採決が行なわれます。時間がある方は是非傍聴に来てください。 

      結果がよければ手段を選ばず?

      2006.06.17 Saturday

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         昨日一般質問を終えました。
         3月議会後、小中一貫教育のモデル校設置計画について、地域への説明会が順次開かれたが、ほとんどの地域で反対・凍結を求める声が多いこと、また計画の白紙撤回を求める請願等も出されている状況を、市長や教育長はどう感じているか、謝罪も含めて答弁を求めた。
         
         しかし、市長や教育長の答弁を求めているのに、最初の答弁は学校教育部長から、従来繰り返し答弁している内容。再質問で、「市長・教育長の答弁を求めているのだから・・・」と、再度市長の答弁を求めた結果、ようやく市長から私の質問の意図を全く理解していない答弁がありました。
          
         他市の議会を傍聴して分かったことは、一般質問は、最初に市長答弁があり、それから詳細については担当部長の答弁というのが普通です。なのに、八潮市は、(市長与党を自認する)自民クラブの一部の御大からの質問以外は、市長を指名しても市長から答弁がほとんどなく、担当部長答弁に終始している現状です。これって、能力の差に起因することなのでしょうか?
           
         市長の答弁は、「八潮の教育を何とかしなくてはいけない。これは誰でも感じていることです。矢澤さんも教育については造詣が深いと思っている。ならば議員として、政策的に取り組むべきではないか?新しいことをやろうとすれば、必ず反対意見は出てくる。」
         
         私は、小中一貫教育そのものでなく、地域に何ら説明もなく突然の記者発表後、今年の夏休みに校舎を改修する予算を3月議会に出すという性急な進め方についての是非を問題としているのです。

         続く大久保議員の質問に対する答弁の中で、「政治家は結果を出さなければ、結果がよければ手段はどうでもいい。手段が良くても、結果が悪ければ・・・」と半ば居直りとも感じられる発言がありました。
         しかし、この場合の結果というのは、今の八潮市の児童・生徒の学力を伸ばすことや不登校を減らすことであろう。当事者や関係者を無視した市長の思いつきでは、本当にいい結果が出るとは思えない。

         新しい事業を始めるにあたっては、色々なリスクを事前に把握し、対応策を考えておく必要がある。用意周到に準備しても、予測できない問題が必ず生じるのが常であろう。そういった新しく生じた課題を解決する為にも、事前の関係者間のコンセンサスが必要であり、当たり前の話だと思うのですが・・・皆さまはどのようにお考えでしょうか?