えみこ日記

昨日の反対討論(2件のうちの1件)

2019.03.21 Thursday

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     議長の許可がありましたので、議案第21号、八潮市旧潮止揚水機場記念ひろば条例について反対の立場で討論いたします。

     最近、全国各地で、建物や歴史的集落・町並み、産業施設などを地域遺産ととらえ、市民、行政、専門家、企業等が力を合わせて保存し、これらを地域固有の宝としてまちづくりに生かす活動が盛んに行われています。それらは観光資源として地域に活力をもたらし、地域を活性化しています。世界遺産・富岡製糸場が最たる例でしょう。

     しかし、その一方で、惜しまれながら取り壊される例も後を絶ちません。その残念な例の一つが、今回提案された議案にかかる旧潮止揚水機場です。
    ご承知の通り、この施設は、八潮市潮止地域に近代農業革命をもたらし、八潮市発展の原点ともいうべきもので、八潮市教育委員会編纂の社会科副読本「ふるさと八潮」にも写真入りで紹介されています。

     旧潮止揚水機場の建屋の文化遺産としての真価を知った市民たちが、2445名の署名とともに、現状のまま残して欲しいとの要望も出されています。
     また、市民団体「旧潮止揚水機場の保存と活用を考える会」も、市の関係所課と事前に相談しながらまとめた旧潮止揚水機場の保存と活用方策も提案しています。この案には、市文化財保護課の職員が作成した試案を参考にした事例「お休み処や案内所」、「農産物直売所」等の例も含まれているにもかかわらず、これらにも一切耳を貸さず、「将来にわたる持続可能な施設の運営・管理主体の構築や、修理・維持管理にかかる資金調達の考え方に懸念がある」とすべて否定、当初の方針通り「建屋を撤去し、メモリアルパーク」を整備してしまいました。

    これが市民との協働をまちづくりの基本と掲げている市のやることでしょうか。私は、とても残念に思うと同時に、市の文化財に対する考え方にも大いに疑問を感じています。

     平成23年に、八潮市文化財保護課の依頼で、旧潮止揚水機場を調査した伊東孝氏(当時日本大学理工学部特任教授)は、「全国屈指の近代土木遺産」で「埼玉県内唯一の近代揚水機場」と高く評価し、文化財の三点セット(不動産としての施設(建屋)や水路、動産としての機械類、歴史をたどれる文献資料類)が残っているからこそ、文化財としての価値がある。県指定重要文化財に十分なり得ると高く評価しました。
    更に、この施設は「国登録文化財も可能」と、実際、文化財保護課は、県を通じて国登録文化財の申請の打診も行い、内諾も得ていたほど、大変貴重なものでした。しかし、この内諾の事実は、市民には全く知らされず、国登録文化財の申請も行われませんでした。

     この内諾の件については、国登録文化財申請(予定)物件調査報告書を執筆した当時の八潮市文化財審議委員の金子勝明氏にも知らされていなかったばかりか、平成24年、平成25年と「旧潮止揚水機場の保存に関する要望書」を提出した史跡保存会会長の渋谷敏男氏も内諾の事実を知りませんでした。このお二人が内諾の事実知ったのは、一昨年の平成29年の1月のことでした。

     伊東氏は、この三点セットの、どれか一つ欠けても、価値が半減してしまうと断言し、すべて丸ごと残すように市長へも申し入れをしています。
    同じく、当時、首都大学東京教授の山田幸正氏は、「この施設は、昭和4年に田中四一郎村長を中心に、当時の村民の悲願として建造されたもので、関東大震災の体験から、公共の建物や土木構造物に耐震構造として急速に使用され始めた鉄筋コンクリート造りの樋門・水槽・水路、同じく当時普及し始めた電力を使った揚水機、それらを覆う木造トラス組の建屋などから成っており、しかもすべてがほぼ竣工当時の姿のままで遺存しているのは珍しい。特に建屋は、平成14年の操業中止以来、完全に放置されてきたが、外見的に健全であると認められ、「危険だ」「汚い」という理由だけで、建屋を破却することは三つの要素が一体となった、この旧潮止揚水機場のもつ顕著な文化的価値を大きく毀損しまう。一度、取り壊してしまったら、たとえ同じような建物を造れたとしても、文化財としての真正性を欠き、二度と文化遺産とはなり得なくなってしまう」と警告していました。

     市が建屋撤去の大きな理由とした「老朽化による危険性」についてですが、市は建築の専門家に検証を求めた形跡は全くありません。ただ 外見的廃屋感で危険性を主張することにより 長期間 八潮の文化遺産の維持管理を放置した責任を隠蔽するために利用したように思います。
    旧潮止揚水機場が配水した八潮市南部地区は、現在、市街地となり大きく変貌してますが、近年までは豊かな田畑の広がる農耕地域で、当時の農業生産を支えたのが、この揚水機場でした。
     中川沿いに立地しながら、古来より農業用水を安定的に確保することができずに、繰り返し旱魃に苦しめられていた人々を救ったのが、この揚水機場の設置でした。

     揚水機場設置を中心とした耕地整理事業は、全国初の「耕地整理債券」発行という独自の方法で資金を集め、村人総動員で着工から一気に完成させた、まさに村ぐるみの一大事業でした。その陣頭に立ったのが、当時の潮止村村長の田中四一郎氏で、その功績をたたえ、昭和15年に田中四一郎頌徳碑(しょうとくひ)が建立され、戦時中銅像は供出されましたが、昭和31年に再建され、現在、八潮市南川崎のJAさいかつ潮止支店敷地内に設置されています。また、「村長通り」の名称も田中四一郎氏の自宅から村役場間の通勤路に由来しています。

     旧潮止揚水機場は、地域の歴史と文化を後世に伝えるための生きた教材であり、貴重な文化遺産でした。
     各地の地域遺産の保存に努めてきた米山淳一財団法人日本ナショナルトラスト元事務局長は「八潮の至宝である旧潮止揚水機場の建屋を壊すのは簡単だが、八潮市が失うものは非常に大きく、歴史を次世代につなげるのは、今、生きている人たちの役割、八潮のルーツでもある旧潮止揚水機場は、みんなで守るべき」と語っていました。

     しかし、その歴史的価値や稀少性を正確に理解せずに、管理する八潮市長は、長年放置した末に、建屋の取り壊しを行い、ポンプも切り離し、台座の上にポンプを設置するだけのメモリアル公園にするということで、この条例案が提案されました。

     歴史的な建物は、その特性をそのままに丸ごと体験できることが第一なのです。小規模な施設であっても、狭い部屋に寝泊まりし苦労しながら揚水機を管理していた人がいた。これを実感することが大事なのです。台座に据え置かれた機能を失ったポンプを見て、どれだけの人が想像力を働かせられるでしょうか、かなり疑問です。

     奇しくも、今年は田中四一郎氏生誕150年にあたります。資料館では、旧潮止村の発展に大きく寄与した田中四一郎氏の功績と潮止村の歴史をたどる企画展を予定していると聞いていますが、旧潮止揚水機場の三点セットをバラバラにし、建屋を壊し、ポンプを切り離すという暴挙を行いながら、どんな内容の企画展を行う予定なのでしょうか。
     文化財保護課の役割は、独自性と個性が光り地域に生活するわたしたちの誇りにもつながる地域固有の文化財の保存が主な仕事のはずです。

     ところで、大山市長が初めて市長選に出馬した際の公約には、市民の声でつくる・新しい八潮として「八潮の伝統から個性と魅力を育もう」という項目に、『八潮は、明治期に「地方改良運動」と呼ばれる町村自治の振興を図る運動が内務省主導で推進され、潮止村(現在の八潮の南東部)が内務省から模範村として選奨されました。』と記述されていますが、旧潮止揚水機場こそ、この模範村の象徴ともいうべき施設ではないでしょうか。
    貴重な市民の財産である文化財を壊してしまった最終的な責任は市長にあります。そのことを深く反省していただき、今後、二度とこのようなことが起きないように、行政運営に当たってほしいと思います。そして田中四一郎生誕150年 の今年を、旧潮止揚水機場復元へ向けての元年とすることを提言します。

     最後に、今回の条例の委員会審査で、この記念ひろばの公園整備・管理は、都市農業課、文化財保護課、公園みどり課3課で担当すると説明がありました。
     しかし、3課で担当ということになれば、責任の所在があいまいになり、結果として何かことが起きた場合、責任のなすり合いに発展することも考えられます。
    このことについては、埼玉県近代和風建築調査委員、草加市文化財保護審議会委員である堀内仁之氏も、「整備に入る段階で、既に管理主体は決まっていなければならない」、そうしないと「揚水機場の二の舞になる」と危惧されていました。
     至急、担当課を決め、きちんと管理していただくよう申し上げて反対討論といたします。

    この議案に賛成したのは、平成クラブ、公明党、共産党です。