えみこ日記

忘れられないこの日

2019.01.17 Thursday

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    阪神淡路大震災から今日で24年。

    被災された方々にとっては、決して忘れることのない日だと思います。実は、私も毎年この日になると思い出します。

    24年前の今日、長女の高校入試の付き添いで池袋に出かけました。朝8時までに到着しなければならないため、4時起きで朝食を済ませて、長女と一緒に出掛けました。

    長年の転勤暮らしからようやく4月に大阪の豊中市から八潮に戻り、13か月後に高校受験、しかも長女の通っていた中学校からはこの学校を受験したことが皆無だったため、母親の私が付き添って行きました。

    サンシャインの近くのビルの谷間を歩いていると、足元からしんしんと冷気が伝わってくるとても寒い日でした。

    筆記試験が終わり、午後2時頃(?)から発表だったので、西武百貨店の食堂街で昼食を済ませ、学校の近くの喫茶店で時間(?)を過ごそうとしていたら、「号外!」と叫ぶ声につられて号外を受け取りました。

    「神戸で大地震」と、大見出しが目に入ってきました。しかし・・・高松に引っ越した際、八潮では当たり前になっている防災頭巾を学校に持たせたら、「こちらではいりません。地震はこちらではありません」と言われ、子どもたちが持ち帰っていたので、「関西や四国は地震がない地域」と、頭の中に完全にインプットされていました。

    なので、大地震と言われても、「嘘〜」と半信半疑でしたが、号外の不鮮明な写真を改めて見ると、どうも本当らしい…と思い始めたら、関西方面の友人たちのことが気になった。特に、長女の友達の一人は、私たちが八潮に戻ると同じ時期に神戸に引っ越していたので、私よりも長女の方が動揺していた。

    当時は、携帯電話など持っていないから、無事かどうかを確かめるすべがない。帰宅してから確かめることにして、合格発表の掲示板を見に行ったが、そこには娘の受験番号は見当たらなかった。

    帰りの電車の中は、無言状態で、時折涙ぐむ娘の姿を見るのはとても辛かった。

    ただ、地震発生時刻は5時46分ですから、この時間はまだ自宅にいた時間、仮にテレビをつけていたら、地震情報はキャッチできたかもしれない。私は、父から、「お母さんが丹精込めて作ってくれた食事をテレビを見ながら食べるのはダメ」と、躾られていたので、結婚してからも同様に食堂にはテレビを置かない主義で、ずっとそうしています。だから、あの日も我が家の食堂にはテレビがないため、幸か不幸か見ていなかった。

    仮に、見ていたら動揺してしまい受験どころではなかったかもしれないし、残酷な言い方かもしれないが「合格できなかったことは、誰のせいでもなく、実力が足りなかった」のであり、諦めも付くのではないでしょうか。

    ただ、なぜか受験になると、普段の実力を十分発揮できないタイプと、普段よりも数倍の力を発揮できるタイプがいることは確かです。我が家の4人の子どもたちを見ていると、前者対後者の割合が1:3のようになっています。

    私は3姉妹ですが、姉はとても成績が良く、模擬試験などの結果はいつも上位で、偏差値も高かったので「この大学なら絶対大丈夫」と言われてた大学の受験に失敗しています。長女も偏差値が高く、模擬試験の度に、この高校なら「絶対大丈夫」と言われていたのに失敗しています。受験度胸というのか、こういったものも含めて実力なのかもしれませんが、いずれにしても大人になるとどこの学校を出たかなんて関係ないのですが、その時の当事者にはわからないからショックが大きいのでしょうね。

    今朝の埼玉新聞に、埼玉新聞模試の問題と回答が掲載されていました。受験生を抱えたご家庭では一喜一憂の日々でしょうが、人の価値はたった1回の受験などで決まるものではないということをお伝えしたいと思います。