えみこ日記

悲しい知らせでした

2017.04.28 Friday

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    朝7時前に、大変お世話になっている方から電話があり、夫が受話器をとりました。

    夫がT先生から…と言って受話器を渡した。この早朝の電話、もしかしたら…と、半ば動揺しながら受話器を受け取った。

    やはりそうだった。

    1年以上前に、お連れ合いの病状を伺っていたので、いつかこの日が来ることは覚悟していたものの、こんなに早く逝ってしまうなんて、とても残念で言葉が出ませんでした。

    3月4日に容態が急変し、通院していた病院に緊急入院したものの、今の医学ではこれ以上の治療法はないとのことで、3月26日にご自身の診療所に戻り、医者である2人の息子さんと看護師である娘さん、息子さんのお連れ合いの看護師さん、そしてT先生とで、4月20日に亡くなられるまで看護したそうです。

    ご本人の遺言で、家族葬でご葬儀はすでに済ませたことも伺いました。

    T先生は、とても頼りにしていた伴侶に先立たれ、「亡くなったことが実感できず、茫然としてあれこれ考えることもできずに、数日過ごしてしまった。医師会と町会には知らせたが、いくらなんでも生前親しくしていた方々に連絡をしなければと思い、リストに書きだして電話をしている」とのことでした。

    人は悲しみのどん底にいる時は、涙が出ないものかも、これから時が経つにつれて、あれこれ思い、じわっとくるのかも・・・とも言っていました。

    このご夫婦のお蔭で、今の私がいます。

    地縁、血縁のない私が、市議選を戦い連続5期当選できたのは、この先生たちの大きな後押しがあったからです。選挙の時には、スタッフと同じTシャツまで着て、毎回、選挙カーに乗って応援演説もして下さったり、最終日には、一緒に練り歩いて「八潮市議会唯一の市民派の火を消すな!」とシュプレヒコールをして下さった姿を、今でも思いだします。

    都合5回の選挙期間中、診療が終わるとすぐに選挙事務所に駆け付けて下さり、私のような者にここまで真剣に応援して下さる姿に、いつも頭が下がる思いでした。なので、感謝しても感謝しきれない思いで一杯です。

    このご夫婦は、まだ、八潮に医者がいなかった時代に、地元の方々から乞われて開業されたと伺ったことがあります。地域に根差した仕事ぶりで、地元の方々の信頼もとても厚く、地域にとっても本当に惜しい人をなくしたのではないでしょうか。

    本当に、長い間お疲れさまでした。どうかゆっくりお休みください。 合掌

    福井県、石川県の福祉施設を視察してきます

    2017.04.24 Monday

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      あれは2015年の始めだったと思うが、生活困窮者支援法が始まる少し前に、「第29回自治総研セミナー『自立』の語り方〜支援戦略の多様性〜」という勉強会で、統括所長の橋本さんから児童家庭支援センター・児童養護施設「一陽」について話を伺ったことがあった。

      一陽ができるまでの話も素晴らしかったが、施設に入所している子どもたちが、アットホームな居場所で、ゆっくりと安心して成長していけるように、8人くらいが1ユニットのような小舎制施設であることに感動した。小舎制施設という言葉も、その時に初めて知ったのですが、一般家屋に近い居住空間で、少人数の子どもたちが家庭的に暮らすことができる施設形態を指すそうです。

      この小舎制施設は、虐待やネグレクト等、様々な困難を抱えた子どもたちが、人間関係の中で、愛されていることを実感し、人を愛することができるようにするためだそうです。

      そして、将来、地域の中でしっかりと自立できるようにするために、入所している子どもたちは、3歳未満児を除き、全員が地域の幼稚園や小学校、中学校、さらには高校へ通っていること。一人になれる場所を確保するため、小学高学年以上の子どもたちは原則個室で生活していること等を聞き、一度、視察に行きたいと思って、橋本さんと名刺交換させていただいた時に、「視察に行ってもいいですか?」と聞いた。

      橋本さんは、いつでもどうぞと言って下さったのですが、なかなかチャンスが作れなかったのです。

      今回、たまたまフェミ議連のメンバーから、Share金沢の視察に誘われ、日程を見たら大丈夫だったので行くことにしました。そして、よくよく考えたら前日に、越前市の一陽を視察できると思い、橋本さんにメールで視察を申し込んだところ、快くお引き受けいただきました。

      Share金沢には、14名で視察することになっていますが、その14名にも「前日、私は一陽を視察しますが、一緒に行きたい人はいますか?」と、MLで投げかけたところ、7名の方が希望され、一緒に行くことになりました。

      ちなみに、この一陽の話を聞いた際に、秋田県の藤里町社会福祉協議会の菊池まゆみさんのひきこもりをなくした話も聞き、昨年秋に、フェミ議連のメンバーで藤里町社協を視察させていただきました。とても充実した視察だったので、多くの人に聞いてもらいたいと、今年5月に行われるフェミ議連の総会の記念講演の講師にお願いしたところ、快くお引き受け下さいました。なお、この講演は、一般の方も参加できます。

      今日は午前中、議会報編集委員会があり、出席してから出かけることにしています。午後は、議員会の役員会もあるのですが、こちらは欠席させていただきます。

      しっかりと視察をして、また、報告させていただきます。

      26日の夜には帰宅いたします。

      1946.4.10 初めて参政権を行使した女性たちの声

      2017.04.23 Sunday

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        昨日、With You さいたまで、「国際女性の地位協会設立30周年記念フォーラムin 埼玉」に参加しました。

        第一部の赤松良子さんの話も元気が出る話でしたが、とても印象に残ったのは、NPO法人『一冊の会』が作成した高知県の民権婆さんこと楠瀬喜多さんの生涯のDVDを見たことでした。

        1836年に当時の土佐藩の米穀商の娘として生まれた喜多は、21歳の時、土佐藩剣道師範楠瀬実に見初められ結婚するものの、17年後・喜多38歳の時に夫と死別。子どもがいなかったため、喜多は戸主となった。

        明治11年(1878年)、区会議員の選挙で「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないというのはおかしい。 本来義務と権利は両立するのがものの道理、選挙権がないなら納税しない。」と県に抗議。しかし県は規則だと要求を受け入れなかった為、喜多は内務省に訴え出た。 これは婦人参政権運動の初めての実力行使となり、全国紙大坂日報、東京日日新聞などでも報道されたそうです。

        明治13年(1880年)9月20日、 明治維新からわずか13年後、上町町会の3ヶ月にわたる抗議行動に県令もついに折れ、日本で始めての女性参政権を認める法令が成立しました。 その後、隣の小高坂村でも同様の条項が実現。当時、世界でも女性参政権を認めていたのはアメリカのワイオミング州議会だけで、 高知県の上町・小高坂村の動きは世界で2番目に女性参政権を実現した。 しかし、それから4年後の明治17年、日本政府はそれまで各区町村が独自に規則を設けてよいとする「区町村会法」を改訂し、規則制定権を区町村会から取り上げ、 婦人を町村会議員選挙から排除しました。

        喜多はその後、自由民権運動の演説会などで弁士として自分の意見を述べるなど女性民権家として活躍。大正9年(1920年)に84歳で天寿をまっとうされたそうです。

        上町・小高坂村の女性参政権実現から、60年以上の時を経て、1946年4月10日、日本で女性参政権(選挙権・被選挙権)が認められたわけです。

        そして、1946年4月10日、女性が初めて参政権を行使できるようになった第22回衆議院選挙に投票した女性たちの声を聞き取り、それをまとめたのがこの本です。会場で販売していたので一冊買ってきました。

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        夕食後、読み始めたら、当時の女性たちの気持ちが心に響き、止められなくなって、とうとう最後まで全部読んでしまいました。この本、ぜひ多くの方に、特に女性の方にお勧めしたい。今は、男女ともに平等に選挙権・被選挙権がありますが、72年前はそうでなかったことを知って、ずいぶん私たちは恵まれていると知ることも大事です。

        この第22回衆議院選挙には、女性が79人立候補し、39人が当選していますが、女性の有権者の実に7割が投票に行ったそうです。当時、ほとんどの男たち(父親や夫)は「女は政治のことに口を挟むな、新聞は読まんでもいい」という風に教えられてきたので、投票に行っても誰に投票したらいいのか分からない女性も大勢いて、父親や夫、勤め先から言われるままに投票してしまった方もいたようです。

        しかし、それまで女性に認められていなかった選挙権が認められ、一人前として認められたうれしさは、どの女性有権者にも共通で、投票に行くために一張羅いのよそ行きのもんぺ姿で行ったことや、投票所が今のように近くにない為、4駅先の投票所まで行って投票したこと。更に投票所でも長蛇の列で、何時間も待って投票したとの声もありました。

        この調査対象は1999年4月10日現在73歳以上だそうですが、愛知県の当時73歳の藤本さんは、バスのガイドさんをやっていた方で、初めて投票した方の名前をはっきりと覚えていると答えています。そして、「現在、女性議員が活躍する姿を見るにつけ、自分ももっと若かったら政治の世界で働いてみたいと、羨ましく思っている」そうです。
        もしご存命なら、91歳になられる方です。スゴイです。

        また、香川県の郡部にお住まいの伊藤さん(当時72歳)は、「これからは女性議員の増加だけでなく、女性の立場で最後まで意見を通す人の出馬を願う昨今です」と言っています。女性議員なら誰でも良いわけではないということでしょう。

        愛媛県の75歳の匿名希望さんは、「私は今でも市川房枝さんを尊敬している。質素な服装で、庶民のために特に女性のために頑張ってくださったと思う。現在の女性議員は化粧や服装が派手な人が多く、何となく男性に媚びているような気がして嫌だ。庶民の日常生活を知らない女性が議員になっても無意味。男性を負かすほど勉強して力をつけてほしい。
        昭和21年4月の初めての選挙で、町内のお偉いさんから関谷勝利を投票するように頼まれ、入れたが汚職したことが新聞に載った。初めて投票した人に裏切られた腹立ちは今でも鮮明に残っていて悔しい。以後、自分で納得ゆく人を選んでいる」と語っていました。

        もっと、もっとご紹介したいのですが、とにかくどの方の声も、本当に心を揺さぶられるものばかりで、今でも共通することです。

        良い本に出会えてありがとうございました。皆様もぜひ、手にしてみてはいかがでしょうか。